かにみそにっき

作家。美術書などを中心に、本・絵本・映画についてのメモ。

映画-バスキア-

バスキア [DVD]
バスキア [DVD]

ジャン=ミシェル・バスキアを知っていますか?
ニューヨク生まれのグラフィティ(落書き)のような絵で一斉を風靡し、夭逝した画家です。
Life Doesn't Frighten Me
これは本の表紙ですが(クリックするとamazonに飛びます)、こんな感じの絵をたくさん描いています。
グーグルのイメージ検索で絵をみてみると
大半の人が、“子供の落書き”にしか見えないと思います。
そんなとこも含め、僕はエネルギッシュな彼の作品が大好きです。
これこれこういうところがすばらしい、なんて
生意気に講釈をたれる気はありません。
もちろんそういう作品の楽しみ方もありますので、それ自体は否定はしません。
でも、バスキアの作品に対しては
僕は、“感覚的に楽しみたい”という思いがあります。




さて、幸か不幸か“講釈をたれる人間”の間に揉まれ
トップスターになったバスキアですが、
そこには若くして亡くなったトップスターにはつき物の、
“テンプレート的な”苦悩や葛藤があったのです。
それを描いたのがこの映画“バスキア”。




感想を述べる前に、なぜ僕が“テンプレート的という”皮肉な言葉を
“”を使ってまで強調したのか。
それはずばり、映画が見事なほど
“テンプレート止まり”だったからです。



作家の自伝物って、話の起承転結に必ずといっていいほど
苦悩や葛藤が描かれています。観る側もある程度の
苦悩・葛藤ボーダーラインを無意識に引いていると思うんです。
どのように刺激的に、あるいは示唆的に表現して、
観る者を唸らせボーダーを飛び越えるかが、監督の力量だと思います。
はっきり言うと、それが出来ていません。



というわけで、観終わった率直な感想はなんだか終始退屈。
だから駄作、と言ってしまうのは簡単ですが
それはどうも惜しいのでもうちょっと食いついてみたいと思います。
せっかく、夭逝の画家バスキアという魅力的な題材、
トム・ウェイツボブ・ディランデビッド・ボウイといった豪華な音楽、
そして同ディヴィッド・ボウイを始め、ゲイリー・オールドマン 
(“レオン”や“ハリー・ポッター”シリーズのシリウス・ブラック役)、
デニス・ホッパー(“イージー・ライダー”、“ブルー・ベルベッド”)といった
豪華俳優人という3拍子がそろっているのですから。




この映画の退屈の原因は大きく2つあって、どちらも監督に関係すると僕は推測します。
まず一つは、監督の個性。
監督は、前回取り上げた潜水服は蝶の夢を見る、と同じジュリアン・シュナーベル
“潜水服〜”は“バスキア”よりずっとあとの作品ですが
見比べると、ぼんやり監督の特徴が見えてきます。
どうやら、シュナーベル監督は白黒つけない曖昧な表現を好むみたいです。



感覚的で詩を読むようなニュアンスの表現、例えば
バスキアの見上げた青空にダブらせた、サーファーの映像、
バスキアと恋人のやりとりに挿入された、白黒のアニメーション。
これらはおそらく監督の感覚で挿入され、そこから意味を読み解く
というより、こちらも感覚で受け止めるような、
文章でこと細かに解説したとたん、サムくなる表現です。
こういう表現はシャレていて、監督のセンスが遺憾なく発揮されています。



対して、示唆するような表現。これがどうも監督は苦手なようで。
例をあげると、
知名度も上がり、金銭的に裕福になるにつれ、友人や恋人が離れ心が貧しくなったり、
よりいっそう人種差別に敏感になる様子が描かれるシーン。
これらは何か“含み”を持って描かれているというよりも、ストレートに描かれすぎていて
“バスキアの”苦悩というより“ありがちな”苦悩止まりで、
ボーダーを越えないままこちら側に伝わってきます。



“潜水服〜”は原本から実に詩的な表現を多用した話だったので、
監督の能力とぴったりフィットしたのでしょう。
ですが、“バスキア”ではどうも上手く嵌らなかったようです。



もう一つは、監督の立場。
シュナーベル監督は、生前のバスキアと交流があったらしいです。(監督も画家として描かれています)
それゆえに忠実さへの“こだわり”が強すぎて、慎重につくりすぎてしまったのではないでしょうか。
(その割に、同じくバスキアと親しかった、同じグラフィックアートの巨匠、キース・ヘリングはいなかったような……)
もともと、誇張が得意そうな監督ではない気がするので、作品の消極さに
拍車をかける結果になってしまった気がします。




原因を散々つつき退屈、退屈言いましたが、
見所はもちろんあります。それは、ディヴィッド・ボウイ演じる
ポップアートの旗手であり、マルチ・アーティストのアンディーウォーホール
変人で高飛車で強烈なキャラクター性、一見の価値ありです。
……彼に、バスキアのインパクトが食われている感もありますが。



映画としては僕にはしっくりきませんでしたが、バスキアに対する興味が
薄れたわけではないので、結果オーライかなとも思います。
去年12月にバスキアのすべてというドキュメンタリー映画が公開されていますが、
DVDが出たら、そちらも観たいと思います。
ジャン=ミシェル・バスキア
ジャン=ミシェル・バスキア
作品数も多いので、いろんな画集を眺めてみることをおすすめします。
(ちなみに、過去の展覧会図録はどれもこれも値段が高騰していて入手困難です。。。)

月刊美術手帖を読む 〜vol62 2010年 12月〜

美術手帖 2010年 12月号 [雑誌]




特集 コンセプトを知る、楽しむ、買う!最新デザイン・キーワード100


OPビジュアルに田部美華子さんを挟んでの
各コンセプトごとに最新デザインを紹介。
割と手頃な価格で手にとれる少数生産ものから、
社会に幅広く浸透しているものまで、幅広く、
そこには、近代デザインの試行錯誤と苦悩が垣間見られます。






その他気になったもの


・秋本康流アートのすすめ
ゲストは映画監督の堤幸彦氏。
以前感想を取り上げた映画BECKの監督です。
普段から美術館にはよく足を運ぶそうで。




・Go Artists Go!
中森仁
フォトエッチングという技法を用いて、
夜の公園や何気ない道ばたの光景をモチーフとして
作品を作られています。作品の切り取り方が、凄い好みです。



・アートの地殻変動 篠山紀信
2010年7月号にて“わいせつ事件”特集を組まれてた篠山さん。論理派ではなく、直感派の写真家。
写真家がアーティストと呼ばれたがる風潮とは裏腹に
アート側からすり寄られ、むしろ写真家と呼ばれたい発言など
読んでいると、なるほど評論家にしっぽを捕まれない人間だというのが
よくわかります。


・ARTIST INTERVIEW デビットヴァイス&ペーター・フィッシュリ
この記事の最後でちょろっと紹介しました、現代アーティスト。

彼らは、全てのものにはあらかじめ価値が与えられていて、
それを「誤用」する事によりそこに隠れた新しい価値を見出そうとします。

例えばベッドに転がって毛布が目に入った時に、
素晴らしい山並みだと思うこともあります。
そう思うこと、あるいはそこにイメージを投影し、
名前を与えることで、それは違う何かになるのです。


そして彼らが語る“コンテクスト”について。
サウンドを用いた作品を「音楽」として分類しないわけについて
こう語っています。


「ルールを理解しているからこそ、それを破ることに意味があり、
「これは新しい音楽だ」と言えるわけです。
ヴァイス 音楽は幅が広い。非常に論理的なものもあれば、
もはや音を出さないような音楽もある。
そういった最先端の音楽についての知識が私にはありません。
何も知らずに音楽の世界に足を踏み入れるとしたら、
ちょっと考えが甘いでしょうね。
(中略)
ファイリ プライベートでギターを弾きながら歌うという行為が、
音楽上での議論やアートの将来について議論する時においては
あまり重要ではないということと同じです。



・総評
デザイン特集をトップ記事で持ってくるときは、
こころなしか、雑誌全体がスタイリッシュに感じられ、視覚的に楽しめる気がします。
(私がデザイン雑誌や分野そのものにに疎いからかも)
評論というよりはファッション誌寄りな号でした。



幸福はぼくを見つけてくれるかな?
幸福はぼくを見つけてくれるかな?

瞬きから生まれた映画-潜水服は蝶の夢を見る-

潜水服は蝶の夢を見る [Blu-ray]

あらすじ
雑誌編集長のジャン=ドミニク・ボビーは、ある日ドライブの途中で意識を失い、昏睡状態に陥ってしまう。
長い眠りから覚めた彼は、原因不明の全身麻痺“ロックトイン・シンドローム”にかかり
潜水服を着ているように、一切の身動きがとれなくなり声も出せなくなってしまった事を知る。
同名の自伝本をもとにした実話を元にした物語。



・絶望
耳は聴こえ目も見えるが、こちらから一切相手に意思を伝えられないジャン。
心の中で皮肉を呟いても、医師達には何も届かない-----
挙句の果てには、目の潤いを保つため右目も縫われてしまう。
ストーリー序盤、そんな彼の視界から覗く世界は一方通行であり
一切の自由がきかない絶望的な世界でした。





・死にたい
彼を救いたいと願う言語療法士マリーの提案で、
彼女の読み上げたスペルを瞬きにより選択し、会話が出来るようになります。
しかし、それは情報伝達方法の末端とも言うべき途方もない行為。
妻や友人と会い、つたない会話を続けても依然として彼は絶望を潜り続けます。
そしてマリーに「死にたい」という気持ちを伝えてしまいます。





・麻痺していないもの
絶望の果て、彼はある事を思いつきます。
左目のほかに、唯一麻痺していない想像力と記憶をつかい、
瞬きの会話を使って自伝を出そうと考えたのです。
それによりこの“潜水服”から抜け出そうと……







・感想
映画的盛り上がりはなく、ストーリーは静かに幕を閉じます。
自伝をもとに描かれたノンフィクションであり、
フィクション的な面白さを求めて構えると、ゆったりしすぎていて
肩透かしを喰らってしまうのは否めません。
ストーリーの起伏より、ジャンの“視点”を自分に置き換え
追体験するように鑑賞すると、色々考えさせられると思います。


この物語の肝であると同時に、“フィクション”である
ジャンの“想像の世界”は詩的に美しく描かれていますが、
彼が思い描いた世界は、果たしてこの程度だったのでしょうか。
(決して映像が悪い、というわけではありません。)
それを知るすべはありません。
ですが僕には、彼の頭には他人により映像化など出来ない、
もっと素晴らしい世界が広がっていた
、そんな気がしてなりません。



〜追記〜
原作である書籍版も読んでみました。
映画がとても忠実に再現されていたのがよくわかりました。
映画と書籍、合わせて手にとることをおすすめします。
潜水服は蝶の夢を見る
潜水服は蝶の夢を見る


・関連作
海を飛ぶ夢 [DVD]
海を飛ぶ夢 [DVD]
実在した全身麻痺の人間を扱った映画。
内容は似ていますが、“尊厳死”というテーマが織り込まれています。
名作なのでこちらもぜひ。

やるせない孤独 -真夜中のカーボーイ- 

真夜中のカーボーイ (2枚組特別編) [DVD]

あらすじ
テキサス生まれのジョー(ジョン・ヴォイト)は、カーボーイ姿に扮して、
憧れの都会、ニューヨークに出てきた。しかし都会の人間には誰にも相手にされず、
街を彷徨っていた。そんな時、足が不自由なラッティ(ダスティン・ホフマン)という男と出会う……


・憧れと記憶とラジオ
バイト先に別れを告げ、田舎のテキサスから悠々とニューヨーク行きの
バスへ乗り込むジョー。頻繁に流れる主題歌、“Everybody's Talkin' (うわさの男)”が
彼の心境を表しています。
しかし、町のショーウィンドウ、バスの窓から眺める景色、夢の中……
随所で大好きだった祖母や、恋人との思い出がフラッシュバックされます。
そこには心残りや良き日の思い出というよりも、何か物寂しさを感じさせます。
そのたびに彼は腕に抱えたラジオに耳を傾けます。
バスがニューヨークについた事を知らせたのは、窓の景色ではなく
ラジオが拾ってきたニューヨーク・ラジオの音でした。






・“孤独”
憧れの大都会についた彼は、さっそくカウボーイ姿で道行く
金持ちそうなマダムに声をかけていきます。しかし世間の風は厳しく
軽くあしらわれてしまいます。ようやく一人の人妻と関係を持て、ジゴロとしてやっていけると
思うと、マダムに泣きつかれた挙句、逆にお金を取られてしまいます。


早くも都会への理想を挫かれた彼は酒場で
ラッティ(ドブ公)と呼ばれる、脚の不自由な男と出会います。
彼から紹介して貰った街の売春業を仕切るボスの元へ足を運んだ、ジョー
でしたが、ボスの部屋にあるキリスト像を見て、またもや過去の記憶がよみがえり
飛び出してしまいます。紹介料を受け取ったラッティは姿を消していました。


フラッシュバックした何か後ろめたい記憶、ボスの“孤独”という言葉に
敏感に反応する姿、依存気味にラジオを大切に抱える姿、
鏡に向かって自分へと語りかけるシーン、
地元テキサスの人たちのどこかよそよそしかった態度……
夢みた大都会に身を投じる事で抜け出そうとした孤独は、
皮肉な事に、拍車をかけて彼の周りにつきまといます。






・最低な暮らし。最低な友。
何をしてもうまくいかず、ついに金がそこをついたジョーは
ある日、偶然ラッティと再会します。似たような境遇の二人は
電気も通らず、暖もない彼のボロアパートで一緒に過ごす事になります。
食べ物は盗み、衣類は盗み、仕事まで盗んで得ようとする……
社会の外れ者になった二人は、そんな最低な生き方で日々を暮らします。
いつの間にか、孤独に飢えた二人の間には不思議な友情が芽生え始めます。
大事にしていたラジオを、熱を出したラッティの為に質に入れるシーンが
象徴的です。






・パーティ
そんなある日、カフェで二人が食事をしていると、変わった姿の二人組から
パーティの招待状を貰います。
そこは麻薬でぶっ飛んだ人間達のサイケデリックな集まりだったのですが、
その中の人妻に声をかけ、ジゴロとして関係を持て、ついにお金を得る事にも成功します。
満足した人妻から、友人への紹介も得られ、ようやく当初夢に抱いた生活に戻れる、
そう思った矢先、ラッティの体に異変が起こるのでした……






アメリカンニューシネマが持つ、何ともやるせない後味。
教訓めいたものはなく、考察や裏を読むような映画ではないです。
かっこ良さとか感動とかない、そこが妙に泥臭く、人間臭いのがこの作品の魅力でしょうか。
ラッティ役のダスティン・ホフマンの演技は、のちのクレイマー、クレイマー [Blu-ray]レインマン [Blu-ray]などに繋がっている気がします。


真夜中に、“小さな”ブラウン管で酒を飲みながら、
またはフラッと訪れたレイトショーでふと観たくなる、そんな映画でした。
良い意味で、時代を感じさせる映画でしたが、そこを現代に合わせて
リメイクしたら面白そうですね。






関連書籍


真夜中のカーボーイは取り上げられていませんが、
アメリカン・ニューシネマに興味を持った方は、ぜひ一読をおすすめします。

舐めてました。面白かったです。 映画“明日のジョー”感想

まず映画を語る前に僕の立場を。
・原作は好きな漫画ベスト5に入るほど大好き。
・特番等は一切見てません。
・細々とした情報だけで、ケチつける気満々で観に行きました。


あらすじ(goo映画より引用)

昭和40年代、東京の下町で殺伐とした生活を送る矢吹丈(山下智久)は、その天性の身のこなしから、元ボクサー・丹下段平(香川照之)に
ボクサーとしてのセンスを見出される。ところが、問題を起こしたジョーは少年院へ。そこでジョーは、チャンピオンレベルの力を持つ
プロボクサー・力石徹(伊勢谷友介)と運命の出会いを果たし、ふたりは反目しながらも互いの力を認め、ライバルとして
惹かれ合うようになっていく。

で、率直な感想……






土下座してあやまります。凄く良かったです。



ファンとしては、そりゃ気になる部分も、もちろんあります。
端折り具合(ジョーと段平の出会い)だとか、妙な設定の改変
(白木お嬢様の設定)だとか。

でも、目くじら立てるほどじゃないです。ほんとに些細な事です。
一つだけ許せないことがありましたが、それは後で。)
それを上回る登場人物、ドヤ街の再現度、
そして映画全体から伝わってくる、原作愛。素晴らしいです。



中でもこの映画を支えているのは、キャスト陣。



まず、山ピーこと山下智久演じる矢吹ジョー。
「ジャニーズ使うってどうなのよ。」なんてまあ原作ファンの大半は思ったでしょうが、
顔がボコボコであざだらけになったり、熱の入った練習シーンを演じたりと、
役を演じるに当たっての妥協は、一切感じませんでした。
長セリフが若干寒かったですが。そんな口数が多い
キャラクターではないので許容範囲です。)



そして香川照之演じる丹下段平。熱いです。
眼帯に腹巻の滑稽なビジュアル。あまりに“漫画的”キャラが立っているだけに、
中途半端に演じられると、本当に痛々しいギャグキャラになる恐れがありますが……
本当に細かい部分まで丹下のおっちゃんをやりきってます。なりきってます。
これには、全く文句無しです。



そしてライバルである伊勢谷友介演じる力石徹
ジョーや丹下は初見だとさすがに“ウッ”となるのですが、この人は違った。
もう生き写しとしか思えない再現度
本作がアイドル一本釣り映画で
留めなかったのは、ジョーに勝るこの存在感が大きく貢献していると思います。
まるで実在の人物かのような熱演は、本当に素晴らしかったです。


その他、マンモス西、ドヤ街の子どもたち、記者団、白木財閥の人たちも
抜かりなく演じられていて、
ありがちな、中途半端なキャスティングで寒いやり取りもなく
感動しました。






肝心のボクシングシーンも、かなり本気で作られていました。
話の流れを知っているとは言えども、萎える部分もなく、
邪魔な演出もなく、きちんと拳と拳の殴り合いを感じる出来でした。
ノーガード戦法ばっかじゃねーか、という野次は
原作を読んで下さい。決して改変ではないです。



そして気になる力石との因縁の対決。ネタバレを含むので一応白字で。
力石は原作通り死にます。そこからどう運ぶかで
一気に駄作へと転ぶ危険性もあったのですが、
原作の流れを改変せずに、続編を作れる余裕を残しながら
1作品としてきちんと蹴りをつけました。良かった……



で す が、一つだけ、どうしても許せない事があります。
EDテーマです。
はっきりいいます。雰囲気ぶち壊しです。

宇多田ヒカルは嫌いではないです、歌詞も悪くはないです。
しかしですね、あの歌声と作曲がもうびっくりするほどミスマッチ。
OPに明日のジョーのテーマを持ってこれたのに、どうしてこんなこと出来るのか。
これは残念でしょうがなかったです。
観にいかれる方は、EDが流れる前に走って劇場を抜ける事を強くお奨めします。
宇多田ヒカルファンの方は、別途CDを購入して
明日のジョーと切り離して聴いて下さい。これで皆幸せ。






・総評
観るまでは、実写映画の逆金字塔デビルマン [DVD]が頭をよぎっていた事、
(良くて100デビルマンかなぁ)なんて悲観的にかまえていた事
 (実際は5000デビ……は流石に失礼か。明日のジョーに。) 
この場を借りて、深くお詫び申し上げます。



とにかく、原作ファンとしては納得の作品でした。
続編が発表されたら、喜んで足を運びます。このメンツに不安はないです。
原作未読で、映画が面白かったと思った人はぜひ、原作も読んでみて下さい。
今回描かれたエピソード以降が本当に面白いので。
この映画をきっかけに、たくさんの人が明日のジョーを
好きになってくれると嬉しいです。



最後に。マンモス西はきちんと鼻からうどんを出しました!
ありがとうございました!


あしたのジョー(1) (講談社漫画文庫)

月刊美術手帖を読む 〜vol62 2010年 7月〜

美術手帖 2010年 07月号 [雑誌]
特集は奈良美智 いつでも旅の途中


セラミックワークに挑戦した奈良さんに対するロングインタビュー。
奈良美智―ナイーブワンダーワールド (別冊トップランナー)
という10年前に出た本を持っているのですが、
今回のインタビューは、その時より言いたいことが明確になっていて、
陶器に携わった思いと、これからについての意思がストレートに伝わりました。
彼の作品ほどガチガチな文章で読み解くのが滑稽に感じるものはないと思っているので、
嵐の大野智さんとのスペシャルトーク、奈良さんをよく理解している
評論家の松井みどり氏による文章、と結構“やわらかく”組まれていて
大満足でした。


その他気になったもの



ビートたけし/北野武 『Gosse de peintre−絵描き小僧』展
カルティエ現代美術財団での個展の取材。
奈良特集の次にこの記事が来る流れはとっても良いと思います。


篠山紀信 『20XX TOKYO』わいせつ事件
話題はガラッと変わって、ヌード写真家の裁判沙汰に対する
著者自身の見解と、事件に対する対談、評論。
児童ポルノうんぬんで色々と物議を醸した、写真家のサリー・マンを思い出しました。
難しい問題です。


秋元康流 アートのすすめ
佐々木耕成の“全肯定”がテーマの個展を歩く。
前向きな明るさが写真から伝わってきて楽しい気持ちになりました。


・ACRYLICS WORLD52 しんぞう
不気味なような、ふざけているような、妙な不思議な魅力を持った
作家のしんぞうさん。凄い魅力的に感じました。


ARTIST INTERVIEW 村瀬恭子
奈良良智の後輩に当たる、作家さん。
愛知県芸で同じ教授に教えられた作家に共通する“雰囲気”は
素敵だと思います。


・総評
前回の4月号から2ヶ月分飛ばして、一気に7月号。
特集を中心に、受け入れやすい作家を取り上げる反面、
きちっとした美術の問題に切り込む記事も充実していて、
気になる記事がたくさんあり、これでもかなり削りました。
僕個人の好みで、多少贔屓目ではあるにせよ、
攻守のバランスが整った、全体的に読みやすい、充実した号だと思いました。

Ceramic Works


NUDE by KISHIN
NUDE by KISHIN


たけしの落書き入門 (とんぼの本)
たけしの落書き入門 (とんぼの本)


Fluttering far away 遠くの羽音
Fluttering far away 遠くの羽音

腹立たしい駄作ではなく、勿体無い凡作 映画RED 感想

今年は劇場でたくさん観ますよ。ということで、
BECK以来の公開後すぐの鑑賞。
ちなみに予告編とか一切みないで観に行きました。
タイトルにもありますが、勿体無い凡作というのが正直な感想です。
若干ネタバレを含みますのでご注意を。
(ストレートすぎるものは反転してごらん下さい)

あらすじ
引退して年金暮らしをしていた元CIAの凄腕エージェントのフランク(ブルース・ウィルス)。
彼はある日、何者かに命を狙われる。真相を確かめるため、かつての仲間を集め
伝説のチームを再結成する


・期待高まる序盤
ブルース・ウィルスモーガン・フリーマンジョン・マルコヴィッチ
キャストからして派手なアクションを期待するべきではないのは
よくわかります。じゃあ何を期待するかっていったら
もちろん年老いたことを自虐的に扱った馬鹿っぽさです。


しかし冒頭の電話シーンから始まる自宅襲撃シーン、
そしてカーチェイスに続くまでの流れは、ゴリゴリのアクションでもなく
老いが足を引っ張る自虐的なアクションでもなく、
スタイリッシュに、スピーディーにこなす
フランス辺りのシャレたアクション映画」で驚きました。
(パッと似た映画が思い出せないのだけれど……)


そこは悪くないです。いやむしろ嬉しいサプライズです。
アクションパートはクールにきめて、捜査パートはいろんな町を訪れて……
まるでゲームみたい!が、しかし……




・結局馬鹿なのクールなの?
そんな感じで、襲われる原因を調べながら過去の仲間達と再開していきます。
特に目玉はジョン・マルコヴィッチのイカレたキャラクター。
ショッキングピンクのブタを抱えて移動する姿はなかなか。
そんな彼を仲間にしたら、早速敵の襲撃を受けます。
またまた知的にやらかしてくれるのかと思いきや……
なぜかここでおバカ映画的演出。あれ?
その演出自体は実に馬鹿馬鹿しくてアリだと思うのですが、
今までクールにやってきていたから、結局そっちなの?、とこの辺りから
妙な不安がよぎりました。
そしてその不安は……




・シリアス、黒幕、そっちへいくの?
そんなこんなでかつての仲間達が集結します。
全員集合まで、妙に時間かかったなーと思いつつも、
ここからどんな事をやってくれるんだ?
と期待が高まるなか、物語は急にシリアス展開へ。
仲間が連れ去られたり、殺されたり(!!)
この流れは(午後のロードショー的に)よくある
名もなき(思い出せない)
アクション映画たちにありがちな、終盤展開。

不安が的中してしまいました。

以下、反転ネタバレ
特にモーガン・フリーマンがあっさり死んでしまい、
「実は生きていてピンチにかけつけるんだろう」と思いながら観ていたのですが、
本当に“しっかりと”死んでしまい
かといって死んだ意味もなく、目に見える活躍もせず
(今まで出演した映画のイメージ的に)「惜しい人をなくした」感に
さいなまれるという誰も得しない展開になってしまいました。

そして最後には意外な(……)黒幕まで登場。いやいや
そういうドキドキを期待してこの映画を観にきていませんって。




・まとめ
あー、見事に軸がぶれたなって感じだったのですが、
観終わった後に、youtubeで初めて予告編を視聴し、
元々馬鹿っぽさより、シャレたアクション的につくられていて
僕の期待の仕方がずれていたのは否めません。
そういう意味では序盤の流れは悪くなかったと言えます。
それでも、後半にシリアスに持っていってしまい、
シャレた部分が薄まってしまったのは確かです。
テンポは悪くなく、所どころに面白いものが詰まっているので
次の作品では面白いほうに転んだものを作ってほしいものです。




Red