献灯史
多和田 葉子の本を初めて読みました。
表題作『献灯史』は、年相応の衰えを持ちながらも老人世代が現役で活躍し
その曾孫に当たる若い世代は虚弱で老い先の短いディストピアが舞台。
世界中が鎖国し、日本では外来語が次々と禁止され昔(=読者にとっての現
代)に使われた言葉も全く異なった意味で使われています。社会通念どころ
か、老人は知識が豊富、若者は元気といった生物学的な"常識"すらひっくり
かえってしまってた世界。
そんな世界で、主人公の「義郎」は身一つで曾孫の「無名」を育てています。
「無名」を生きる支えとしながらも、明日死ぬかもわからない曾孫への心配
事がつきない義郎に対して、達観した新世代の中でもとりわけ聡明な「無名」
は、海外へと見聞を広める「献灯史」の候補として育っていく......というお話。
収録された他の短編もですが、3.11震災以後の「絶対の基準が崩れ去った」
世界を描いています。あまりにもストレートすぎて、一冊の本としていささか
くどく感じるところもありました。けれども、震災直後に日本全国が包まれた
あの「非日常感」を節々に感じます。真空パックにして鮮度を保ったまま出す
のはルポタージュやノンフィクションの仕事だと私は思います。小説はそこか
ら羽を広げる存在。『献灯史』は、一度は「絶対が崩れた」が今一度立ち直り
つつある日々(それを"風化"とも言う)に対して、社会や政治ではどうしよう
もない自然現象もないまぜにして価値感のひっくり返った世界を提供している
のです。面白いのは、そのディストピアな世界のルールが徹底していないとこ
ろ。外来語は禁止されているがパンは平気だったり、政治も国家もバラバラぐ
ちゃぐちゃなのに、登場人物達は奴隷のように生きているどころか、それなり
に順応して「日常」を過ごしてしまっています。その「日常」は時にほのぼの
して親近感すら覚えます。そのゆるさは決して世界観の作り込みの甘さではな
く、むしろリアリティを作り出す要素になっているように感じました。とんで
もない世界だけれど、はて、それでは本を閉じた「現実」はどれくらい「正常
」なのだろうか......
そんな問いかけを投げられたようでした。
献灯使 | |
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