かにみそにっき

作家。美術書などを中心に、本・絵本・映画についてのメモ。

酷く言われようが僕は評価する。映画BECK感想。

昨日公開の映画BECKを観にいったので感想を述べます。
久々に色々言いたい映画だったので、ちょっと長くなります。

あらすじ
平凡な高校生、田中幸雄(コユキ)は偶然、ニューヨーク帰りの天才ギタリスト南竜介と出会う。
竜介は才能溢れる千葉、平を誘い、BECKというバンドを結成し、そこにコユキとサクという
若いメンバーも加わり、バンド活動を始めるうちに音楽にのめりこんでいき、ライブハウスでの活動や
CDデビューなどを果たしていった。ある日、そんな彼らのもとに国内最大のロックフェス
「グレイトフル・サウンド」出演の依頼がやってくる。

wikipediaより引用。



感想の結論から述べると、“僕は”“面白かった”けど“超惜しい”





“”の中身を詳しく語る前に、漫画原作であるこの映画に対する僕の“立ち位置”を記しておきます。








原作は途中まで読み、アニメはすべてみた。内容はぼんやりとしか覚えていない。 
強い思い入れはなく、思い出しながらみていた感じです。


俳優達に何の思い入れもない。
俳優目当てとかは一切ないです。



普段音楽を演奏していない
あと、ここのギターが良い、とかドラムが走ってるとかはこだわって音楽は聴かないです。



洋画に比べて邦画はあまりみていない。
そしてあまり好きではないです。











“面白かった”部分。
漫画だと10巻相当の内容をおよそ2時間半に収めたわけですが、
思っていたよりテンポ良く進み、中だるみもなくラストまで突っ走れていたと思います。
キャラクターも皆はまっていて素直に感情移入できました。



原作から“現実じゃこんな上手い事いかない”展開の連続なのですが、持ち上げた分
一度どん底まで落として、“無敵の人物像”に傷をつけまくる流れによって
“もしかしたらあるかも”というリアリティを作り出しているのは上手いなぁと思います。
ルーキーズ(漫画)なんかと同じ手法ですね。



一人にスポットライトを当てすぎないのも良かったです。
各人を深く掘り下げすぎず、メンバー同士を対比させる事により、
個々のキャラクターがおのずと浮かび上がってくるのは、好印象でした。






そして一番驚いたのが、主人公コユキのヴォーカル
“誰もが魅了される天才的な声の持ち主”という設定を持つ、
コユキのヴォーカルはどうするのか?“魅力的だと思う声”なんて人それぞれ。
千差万別な以上、非常に難しい問題です。アニメだと普通に歌っていましたが、
作中の持ち上げられっぷりもあり、どうも肩透かしをくらわざるを得ないものでした。



映画が選んだ表現は“無音
ギターやドラムがガンガンに響いているのに、コユキの声は無音。
びっくりした方も多いでしょうが、僕はこの表現をみて(聴いて)
清岡 卓行の手の変幻 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
というエッセイを思い出しました。
ミロのヴィーナスは腕がないからこそ、鑑賞する各々が理想の腕を想像でき、
それが実物以上の美を与えている
という逆説的な話なのですが、
まさにここではその考えが取り入れられているのです。
とても誤解を招きやすいこの表現をとったのは、英断だと思います。
これ以上はない選択だとは思います。が……







“超惜しい”
この無音は、無音ではあるが、無音ではいけないわけです。
観ている人たちがそれぞれ、“自分の思うコユキの声”が聴こえてこなくてはなりません。
ですが残念ながら、僕には声が聴こえてきませんでした。全く。





僕は”音楽を演奏する側に回ったことのない人間ですが
映画を観ていて、「音楽を演奏するのって素晴らしいんだなあ」と素直に思いました。
自分で言うのもあれですが、かなり純粋な気持ちで観てこれました。
でも、最後の山場の曲でグッと来たものの“声”は聴こえてきませんでした。




映画が終わった後、俳優目当ての人は色々文句を言ってましたし、
演奏側に回ったことのある友人は音にケチをつけていて、
原作に思い入れある友人は、原作との違いにいちゃもんをつけていました。
僕は”きっとそういうフィルターがかかっていなかったから、楽しめたのだと思います。
そんな僕でも“声”が聴こえなかったのは、惜しい。超惜しい。









無音という選択が、万人受けしないし非常に難しい表現だと言うのはよくわかります。
でもここに、最近の邦画に一石投じる魅力があります。
ぜひ監督さんには、この表現を成功させてアッと言わせて欲しいと思いました。
そんなこんなで、全然期待せずにノリで観たら、色々書きたくなるほど楽しめた
私の感想は終わります。じゃん。